小宮山明敏「新藝術派の特質、位置」について~新興芸術派・プロレタリア文学論争のまとめ~

まとめの構成

右に示す通り、『現代日本文学論争史』「新興芸術派・プロレタリア文学論争」(本稿でのページ数についての記載はこの本に準ずる)の章に収録される文章をまとめる。

それぞれのまとめの後ろに、文章の作者を簡単に紹介する。

また、重要な専有名詞がある場合には、「註:」の形でその後ろに注釈を加え、質問点がある場合、「問題提起:」の形で後ろにこれをする。

文献情報

小宮山 明敏(プロレタリア文学)「新藝術派の特質、位置」(一二九頁〜一三四頁、初出:昭和五年=一九三〇年七月 新潮)

章立て

一(一二九頁〜)

二(一三二頁〜)

各章のまとめ

第一章で、ブルジョア文学が「没落」(一二九頁)しつつあると述べ、その原因を関東大震災とした。また、現実主義作家に比べてもブルジョア文学者が「真正面から現實を把握することができない」(同上)と論じた。ブルジョア文学→形式主義文学→新芸術派文学といった(進化の)流れを挙げ、本質が同じものだと述べた。

その特質について説明した。まずは形式・角度・手法の三つ名称が違うが指すことが同じだと作者に考えられるものである。そして、プロレット文学が局限されたものとし、新芸術派にそれがないと述べた。三つ目はプロレット文学のように「強権主義」や「政治主義」(一三一頁)に強要されていないことである。また、形式や多様性などの新芸術派のプロレット文学に比べて優れたことを言及した。

第二章は、新芸術派の作家およびその作品、またこれらを集める雑誌を挙げた。

作者について

昭和期の文芸評論家ロシア文学者

生年 明治三五(一九〇二)年二月一〇日

没年 昭和六(一九三一)年九月三〇日

出生地 岡山県御津郡金川町草生

学歴〔年〕 早稲田大学露文科〔大正一五年〕卒

経歴 片上伸を慕って早大露文科に進む。在学中から建設者同盟に加入し、社会主義運動に入る。大正一四年尾崎一雄らと「主潮」を創刊、先鋭な文芸評論で認められる。十五年卒業と同時に早稲田高等学院講師となるが、健康を害して昭和四年休職、以来ロシア文学の翻訳・紹介に努める。一方、三年片上伸没後、その遺志をつぎプロレタリア文学運動の理論を展開、多くの文芸評論を発表。五年「文学革命の前哨」を刊行。同年プロレタリア科学研究所に入り、ナルプにも参加した。「現代日本文学史覚え書き」は未完に終った。

『20世紀日本人名事典』より

註:片上伸(かたがみ のぶる)について。

一八八四-一九二八 明治-大正時代のロシア文学者。

明治一七年二月二〇日生まれ。四三年母校早大の教授となる。ロシア留学後、大正九年同大に露文科を設立し、主任教授に就任。自然主義擁護の立場から浪漫主義に転じ、さらに唯物史観によるプロレタリア文学理論の確立をめざした。昭和三年三月五日死去。四五歳。愛媛県出身。号は天弦。著作に「生の要求と文学」「階級芸術の問題」など。

『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』より

付記

日本語の資料を引用する時、舊字體の字をそのままにする。下線や読み仮名(よみがな)・[……](省略)は筆者による。

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