[……]例えば「実がなる、努力が実る、結実する、実を結ぶ、実りある会議、突るほど頭の下がる稲穂···」と成果や結果の出来を意味し、いわばナル表現の意味そのものです。興味深いことに、「実がなる」のようないわば無から有が出来した場合は「実る」はガ格をとるのに、「彼が教師なる」や「塵も積もれば山なる」のような場合は、ガ格でなくニ格やト格をとります。(この点、韓国語では「彼は教師なる」(Ku nun kyoea ga twinda.)とい う言い方をするようです。)

先にも述べたように、ナル表現は人中行為を事態内部に位置づけて、いわば「現象化」し、身体性を薄め、現象の出来や変化として表現しますが、日本語話者はそこにある種の文化的な価値を感じるようです。例えば目上の方が来る場合は「おいでになる」や「お見えになる」などを、目上の人に会う場合は「お目にかかる」などのナル表現を用いるわけです。なお、日本語の動詞「ナル」には、「大きくなったら宇宙飛行士になりたい」[……]

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想学韩国话了hhhh