日本の語学講義と中国の外国語学部との比較

room chair lot

日本に行ってから、多くの総合大学は外国語学部を設けていないことを興味深く思った。その代わりに、各学部の下に特定の学問に関わる語学講義を行う。

例えば、経済学部の下には、言語の名前を冠した講義がいくつかあり、それぞれ異なる言語を教えていて、取り上げられる言語も国際経済に関わっている。そして学部独自の語学講義と言っても、ほとんど全学共通で、大学に在籍すれば専攻を問わず、自由に選ぶことができる。

外国語大学の場合でも「外国語学部」という学部はなく、言語ごとに設けられた専攻言語と教養外国語として履修可能な授業がある。


それに対し、中国では総合大学・師範大学・専門大学を問わず、ほとんど独立した外国語学部が設けられている。

学部・学年の垣根が強く意識されており、学部・学年を越えて受講することが認められず、傍聴も許されない。発見された他学部の学生が怒られて追い出されてしまうのを筆者も目撃したことがあり、今でも忘れられない。

語学を学びたい人が学べない一方、学びたくない人が入試で外国語学部に振り分けられていて、どちらも大変そうだ。

それに、外国語学部に振り分けられても、もっぱら専攻言語しか教わらない。言語はあくまでツールという一般的な認識があり、外国語学部ではそのツールを通じて何かを習得するのではなく、ツールそのものにしか触れられないのではないかという不安も学生の間に広がっている。

近年こういったことが問題視されつつあり、商務日語(ビジネス日本語)・日本文学史のような特定分野+専攻言語の授業が出てきているが、その授業で触れるのも入門レベルで、直接その分野を専攻する学生の知識量とは比べものにならない。

一般的に、外国語学部に入ったら言語学者の卵になるのではないかと思われているが、語学と言語学はただ「語」と「学」の二文字を共有しているだけで、後者の注目点と方法論は前者と完全に違う。学部で言語学に触れたいなら、実は文学部に入った方がよい。

語学といえども、言語の世界で自由に成長するわけでもない。専攻言語が英語ではない場合、第二外国語は英語しか選択できない。英語専攻であれば、第二外国語として好きな言語を一つ選べる。

こうして語学一筋に四年間を過ごしても、母語話者とは全然比べものにならない。(学部生の語学力は一般的に母語話者の高校生レベルに過ぎないと、専攻主任から聞いたことがあるのだが、その時同級生たちは絶望の悲鳴を上げた。)

このような語学人材がどんどん労働市場に送り込まれ、供給過剰の状況に陥ってしまっている。就活シーズンになると、さっさと学部改革しろという声がよくSNSから聞こえる。


このような角度から見ると、日本の語学講義のような形式はより柔軟で、より実用性に富むと思う。

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