まとめの構成
右に示す通り、『現代日本文学論争史』「新興芸術派・プロレタリア文学論争」(本稿でのページ数についての記載はこの本に準ずる)の章に収録される文章をまとめる。
- 雅川 滉(つねかわ ひろし、新興芸術派)「藝術派宣言——新藝術派は如何にして起り、何を爲すかの問題——」(一〇一〜一〇九頁、初出:昭和五年四月 新潮)
- 間宮 茂輔(まみや もすけ、プロレタリア文学)「新興藝術派を嘲笑する」(一〇九〜一一二頁、初出:昭和五年四月 三田文學)
- 久野 豊彦(くの とよひこ、新興芸術派)「新藝術派は何故に擡頭したか!」(一一三〜一二一頁、初出:昭和五年五月 新潮)
- 雅川 滉「藝術派への攻撃に逆襲する」(一二二〜一二八頁、初出:昭和五年六月 新潮)
- 小宮山 明敏(こみやま あきとし、プロレタリア文学)「新藝術派の特質、位置」(一二九〜一三四頁、初出:昭和五年七月 新潮)
それぞれのまとめの後ろに、文章の作者を簡単に紹介する。
また、重要な専有名詞がある場合には、「註:」の形でその後ろに注釈を加え、質問点がある場合、「問題提起:」の形で後ろにこれをする。
文献情報
久野 豊彦(新興芸術派)「新藝術派は何故に擡頭したか!」(一一三〜一二一頁、初出:昭和五年=一九三〇年五月 新潮)
章立て
一 新藝術派は、まづマルクス派の誤謬から出發する(一一三頁〜)
二 藝術に對する古典的理想を果敢に訂正せよ(一一五頁〜)
三 藝術は、現實を新鮮に意識させる技術なのだ(一一八頁〜)
各章のまとめ
第一章のまとめ
第一章では、「マルクス主義文學」者が「非現代的なものになりつゝあること」、「文學の取材範圍が[⋯⋯]狹隘なこと」、「表現形式が[⋯⋯]陳腐なこと」(一一三頁)と、三つの項目にマルクス主義文学論を批判した。
マルクス主義文学者の非現代さについては、マルクス主義そのものの非現代さによって成立するわけである。
まず、作者は自分の時代が既に「信用概念」のある経済社会になったので、「信用經濟學」の時代になったが、マルクス経済学派「産業革命直後の經濟社會を焦點として批判すること」(一一三頁)と論じ、新たな時代の「經濟社會を説明することは、最早不可能である」(同上)と論じた。
そして、作者は、マルクス主義における「辨證法的進展」が「藝術の限界内に於ても、旣成藝術派派この辨證法的進展云々のために、甚だしく排撃されてきた」(一一三頁)と述べた。
最後に、マルクス主義の資本家に対する攻撃を時代遅れとした。「信用主義社會」において「少數の金融家の支配下にある信用によつて統制されてゐるからである」(一一四頁)と言った。
続いてはマルクス主義文學の「取材範圍の狹隘なこと」についてである。作者は、マルクス主義文學における「勞働者對資本家の階級的對立」(一一四頁)は「信用主義社會の現代」の「現實」に遅れたと論じた。よって、マルクス主義文学者からの「現實を逃避してゐる」という非難を認めなく、マルクス主義文学者の方が「信用主義社會」の「現實」を逃避し、「新藝術派の擡頭も、必然の過程」(同上)であると論じた。
「次ぎに、マルクス派の取材範圍の本質的な狹隘さは、勞働問題の解決によつて、現代の畸形的社會經濟生活の疾患が解決されるごとく思惟してゐる點にある。」(一一四頁)と次の段落の劈頭に言った。作者は他の学説を引用して、マルクス主義の労働問題に対する見方が「誤解」と判断し、よってマルクス主義文学の労働問題に関する取材が狭いと論じた。
「表現形式の陳腐さにいたつては、[⋯⋯]徒らなる記述とマルキシズムの訓話註釋と不出來な寫真術とが」(一一五頁)あると述べた。作者は、「文學の特殊機能とは、現實を讀者へ新鮮に意識させる技術にある」と論じ、マルクス主義文学の表現形式が「文學的敗北」と言った。
第二章のまとめ
第二章で、文学に社会改造問題を求めるのは「非現代的」(一一六頁)であると論じた。作者は、古来よくあった文学にそういった「思想的任務」=「思想的重税」(一一五頁)を課すのは「古典的理想」(一一五頁)と述べた。マルクス主義文学者のやり方を前述の古典的理想と同一視した。
また力学理論を参照した他の経済学の学説を引用し、金融機関を社会問題の解決の鍵にし、マルクス經濟學に依據する社會改造方策を直接反駁した。(一一六〜一一七頁)
以上のような「古典的理想」(一一八頁)を清算する任務を新芸術派に与えた。
第三章のまとめ
第三章では「藝術は、現實を新鮮に意識させる技術なのだ」(一一八頁)と論じた。金銀製造における「實価値」=「内容價値」(一一九頁)すなわち金銀そのものと、「美的價値」=「形式價値」(同上)すなわち金銀製品に施した「美術的技術」を例とし、後者のある金銀製品の価値の種類が豊かになったように、「現實の藝術は、實體價值と官能價值との超個的調和」(同上)があると論じ、「文學技術は、素材のその官能に對する自らの關係を感知すること」(同上)と述べた。しこうして「作品行動から出發してゐるだけ」(一二〇頁)の新芸術派の新たな理論として、「新藝術派の文學技術は、尖銳に、藝術素材を點檢して、その内部にある藝術としての官能[⋯⋯]幾多の可能性中より抽出し」、「役立たざる」「他の官能を排斥する」(同上)と述べた。新芸術派の文学は「内容と形式との統一體」(一二〇頁)と述べた。
作者について
一八九六-一九七一 昭和時代の小説家、経済学者。 明治二九年九月一二日生まれ。昭和五年「ボール紙の皇帝万歳」などで、新興芸術派の旗手と目(もく)される。評論「新芸術とダグラスイズム」では反マルクス主義にたって社会批判を展開、新社会派ともよばれた。晩年は名古屋商大で経済学を講じた。昭和四六年一月二六日死去。七四歳。愛知県出身。慶大卒。
『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』より
付記
日本語の資料を引用する時、舊字體の字をそのままにする。下線や読み仮名(よみがな)・[……](省略)は筆者による。